ミッドナイト・ラン 1−3

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    店主、東京浅草買い付け出張で不在の為、

    第8回日本四つ葉ブルーベリージャム文学大賞新人賞候補作『ミッドナイト・ラン』でお楽しみください。






    夕方から降り始めた雨は、雨脚を増し、夜の闇よりもずっと深い、排水溝の奥に流れ込んで行く。

    徘徊を始めた頃は、雨の日に外に出るのは億劫に感じていたけど、部屋に居ても何もする事がないのに気が付いて結局は外出。

    最近では雨が降ろうがおかまいなく、徘徊するようになった。

    普段は何も持たず歩き回っているだけに、傘を差して歩き回るのも億劫。

    なので、いつもより上着を一枚余計に着込み、更にその上にレインコートを羽織り、いつも通りに手ぶらで出掛ける。

    玄関で靴を履く時から皮膚に張り付いてくるベタベタとする感覚、そしてドアを開ければすぐに漂ってくるこの匂い。

    普段は誰が気に留めるでも無く、ただ踏みつけられているだけのアスファルトが、唯一人間の嗅覚に向け、自己主張をする時。

    降り注ぐ雨を無条件に呑み込んで、そこに己の匂いを染み込ませ、もう一度地上に向け放射した時に発生する、あの複雑な匂い。

    レインコートに当たる雨の音を耳元で聞きながら、いつもの幹線道路に出る。

    大きな空間に出たせいだろうか、アスファルトの匂いも、僕の回りを取り囲むように充満していた。

    灰色のアスファルトに、黒い染みがポツリポツリと増えていき、その後は一様に黒くなっていく様。


    小学生の時は、その光景とこの匂いを嗅ぐと、雨が降ってきた。ただ単純にそう感じていた。

    けれども今思うと、雨が降る度に自我など持たないはずの[モノ]たちが、

    水分を吸い込んで[自我]に目覚め、匂いでもって、存在を発信していたようにも思えてきた。

    机の匂い、廊下の匂い、わら半紙の匂い。

    確かに普段から、晴れの日にもそれぞれ固有の匂いがあったけれど、それは[嗅ぐ]という明確な意志で嗅いだ時だけに感じられた匂いであって、

    雨の日に呼吸をする度に鼻腔内に充満する、あの強烈な生気を纏った様なそれぞれの固有の匂いとは明らかに違っていた。

    その当時、僕はこれらの匂いに対し、匂いの濃さを不快に感じていたけど、

    心の奥では匂いの濃さ以上の何か、その後ろに存在するものを感じ取って、不快に思っていたのかもしれない。

    そんな事をぼんやりと空想しつつ、僕は雨の日にしか立ち寄らない、川に向かった。

    ミッドナイト・ラン 1−2

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      大きな幹線道路沿いを歩く。

      数メートルごとに置かれた街灯が、僕の視界の行く先を橙色のスポットで照らし出す。

      深夜の闇と街灯が、延々と作り出すコントラストが僕は堪らなく好きだ。

      昼には風景の一部として街に溶け込んだ街灯が、ようやく主役に躍り出す。なんだってそうだ。普段は半透明なモノ達がそんな日の目を見る事が出来る時。

      僕は歩く。黙々と。

      踏みつけるアスファルトから微かに伝わってくる感触が、僕の歩を先へ先へと進ませる。

      2分も歩けば、幹線道路も外れて寂れた集合団地に突き当たる。

      フェンス越しから団地を見遣る。

      年期の入った団地の壁には大きなヒビ割れが無数に広がっていて、さながら一本の大きな川が枝分かれしていき、支流を作っているかの様。

      無味乾燥な人工物と、時の流れという止める事の出来ない自然との調和が生み出すデザイン。

      見ているだけでゾクゾクする。

      ベランダ側の方を見回すと、まだテレビの深夜放送も面白い時間帯、あちこちの階からカーテン越しにブラウン管の鈍い光が漏れている。

      去年の今頃、僕もあのカーテンの向こう側の様な生活を送っていたっけな。


      その日も夜遅くまで起きていた。

      毛布に包まってテレビを眺めながら、ここは笑う所ですよ。と、親切なテレビテロップの言われるまま、

      薄ら笑いを浮かべ、残り少ない学生生活の自由な時間を無駄に消費していた。

      「お〜い」

      窓の外からの声に気付いた。

      僕の部屋は2階にあって、隣が駐車場という事もあり、窓を開ければ結構な空間が広がる。

      そりゃたまに、どこの輩か分からない連中が騒いでいる事はあったけど、こんな事は初めてだった。

      「お〜い」

      また聴こえてきた。女の声だった。

      首が出せるくらいの間隔だけ窓を開け、恐る恐る駐車場を覗き込んでみた。

      「私の事、知ってる?」

      覗き込んだ僕と目が合うなり、女は言った。

      「知ってる?」

      続けざまに言われ、僕は身動きが取れなかった。

      「覚えてる?」なら未だしも「知ってる?」と訊ねてきた。

      しかも僕がこの部屋で生活しているという事を知っていて、わざわざこんな時間に駐車場から声を掛けてきた。

      おかしい、知らないはずがない。

      相変わらず僕は女と目と目を離せられずにいた。

      でもこの感覚をデジャウ゛というのか、この女を僕は間違いなく「知っている」どこかで見た事も話した事もある。

      けど、それがいつどこでなのか思い出せない。微かな記憶の断片を辿りながら、あと少しという所で、

      「じゃあね。」

      女は笑顔で手を振りながら、駐車場の入り口に向き直り、落ち着いた足取りで去っていった。

      僕がその歩いていく後ろ姿を見つめているのが分かっているかのように。

      ミッドナイト・ラン 1−1

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        店主、東京浅草買い付け出張で不在の為、

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        昼には吹かない風がある。

        夜の静けさそのままに凛としていて、昼間の太陽で暖められた風と違い、 顔にまともに面食らう風。

        「ちゃんとしろ」って言われてるみたいな気がして。そんな風が僕は好きで、深夜徘徊を始めた。


        家から外に出るのは、決まって夜の2時過ぎ。

        真上に住んでいるフリーターの女の子(隣に住んでる水島さんから聞いた話)が帰ってきて、

        テレビの音やら部屋を動き回る音がうるさいので、ちょうど良い時間。

        こんなご時世、文句の一つ言いに行って、後ろに怖い男が付いていたら、おっかない。

        だから僕はいつも仕事から帰ってきて、まず風呂に入り、床に就く。

        それから深夜1時過ぎ、目を覚ます。最終電車がフェンスの向こうを通過する時間。


        生きているうちに良い事も悪い事も、おんなじ数だけ起こるらしい。

        昔、じいちゃんが言っていた。

        最近になってその話を思い出しては、良い事の大半は記憶も定かではないうちに使ってしまうんだろうなとよく思う。

        会社帰り、ファミレスの横を通った時、ガラスの向こう側で母親に抱えられている赤ん坊を見た時や、

        公園のベンチでベビーカーを仲良く覗き込む夫婦を見た時、なんだか無性に泣きたくなる。


        靴紐は緩めに結んでいる。僕は靴紐を結ぶのが苦手なんだ。だからこうやって緩めに結んでおけば、そうすぐ解けて結び直す必要もない。

        立て付けの悪いドアをゆっくりと開け、2階の部屋から降りて僕はまず、アパートの前の自販機で聞いた事も無いようなメーカーの缶コーヒーを買う。

        負け犬主義というか何というか、こういう人気のないモノは、例え、体に悪かろうが応援してしまいたくなる。

        毎回、缶コーヒーを飲みながら、今日はどう徘徊しようかと考える。


        高校からエスカレーター式で大学に上がり、同じような友人たちと気楽な学生生活を送り、

        たいして先のことなど何も考えず、小さな会社の営業として就職、職場から少し離れたこの街でアパートを借りた。

        駅前以外は寂れたこの街も、昔はこの辺りでは有名なベッドタウンだったそうだ。

        きっと僕が子供の頃は、この街も若い夫婦や子供連れの家族がたくさん住んでいたんだろう。

        そして僕が大きくなったのと同じように、子供達も独り立ちしていき、若かった夫婦も年を取り、郊外に家を建て移り住んで行ったのだろう。

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